織田家所縁のお寺・万松寺がめっちゃかぶいてる【名古屋市・大須】

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名古屋大須万松寺外観
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織田信長の「うつけ者」説発祥の地・万松寺(萬松寺)

大須商店街にある万松寺(萬松寺)は織田信長の父・織田信秀が織田家の菩提寺として開基した470年以上の歴史を持つお寺です。
織田信長の「うつけ者」エピソードで必ず語られる、あの焼香投げ事件の舞台でもあります。

あの焼香投げ事件

天文二一年三月三日、信秀公が享年42歳で病死。葬儀は萬松寺で執り行われた。喪主は信長。
300人を数える役僧の読経の中で厳粛にとり行われる中、茶筅まきの髪に腰には荒縄の帯、長束の太刀と脇差と、葬儀にふさわしくない姿で現れ、いきなり仏前に進むと抹香を大きく手づかみにするなり信秀公の位牌に投げつけた。

万松寺の本堂3階部分の壁面についている舞台では、焼香投げ事件のからくり人形劇が毎日5回上演されています。

人形劇は約4分程の二部構成。
第一幕「焼香投げ事件」
第二幕「桶狭間の戦い出陣前に敦盛を舞う舞織田信長」

上演開始時間 10時・12時・14時・16時・18時
万松寺からくり人形「信長」

スタイリッシュなOTERA・ 万松寺

万松寺は織田家の人質になっていた徳川家康(竹千代)と織田信長が初めて出会った場所だともいわれています。

歴史的瞬間の舞台となった万松寺には、きっと当時の信長や家康が感じた空気も残されているんだろうと誰だって思うじゃないですか。

当時の空気どころか、現代の感覚から見てもかなり新しめな空気が流れてました。
お寺=アナログで木造で枯山水な先入観を抜きにしても、単純に斬新すぎる。

煌々と輝く横長のモニターには色々な図柄が次々と映し出されます。
『新台入荷!!』って流れてきたとしても全く違和感ないです。

信じられますか?
これ、Perfumeのミュージックビデオじゃなくて納骨堂なんだぜ。

ちょっと気持ちが追い付かないので、ここで万松寺の寺歴を振り返ってみる事にします。

1540年 織田信秀によって建立
1547年 徳川家康 人質事件
1552年 織田信長 焼香投げ事件
1610年 名古屋城築城のため、現在の地(大須)へ移転
1945年 名古屋大空襲により焼失
1994年 本殿再建
2017年 建替えリニューアルオープン←NOW

どうりでピッカピカ。

最初はこれじゃない感がすごいかったけど、ハリウッド映画に出てくる変な日本みたいでだんだん楽しくなってきました。
お寺というよりOTERA

更に驚くのが建物の壁面にそびえる巨大な白龍のモニュメント。
決まった時間になると白龍が光って咆えて水を噴く演出がおこなわれるそうです。

白竜演出開始時間 11時・13時・15時・17時・19時

時間外でもちょこちょこ霧を噴いていました。

万松寺の建物自体は広くて大きいのですが一般参拝できる場所は限られています。
からくり人形劇と白龍の演出をどちらも見たい場合は、境内で待つより大須商店街を散策してみるのがおススメです。

織田信長を助けた身代り不動明王

高級マンションのエントランスみたいな納骨堂の入口の横にある不動堂
ここに祀られている身代り不動明王にも織田信長所縁のエピソードがあります。

身代わり不動明王

鉄砲の名手・杉谷善住坊の撃った2発の弾が信長に命中。
もはやここまでかと思ったその時!
弾は懐に入れていた万松寺の和尚からもらった干餅に当たり、かすり傷だけですんだ。
後にこの話を聞いた加藤清正が「きっと万松寺の不動明王のおかげだろう」と言い、身代不動明王と命名した。

刑事ドラマあるあるの先駆け

織田信秀公墓所

この時、織田信秀のお墓は工事中で非公開だったので石碑だけお参り。
平成30年3月3日に本堂の前に新しい墓碑が建てられたそうです。

種類豊富な万松寺の御朱印

万松寺の御朱印は全部で6種類あります。
今回頂いたのは身代り不動明王と織田信秀菩提所の2枚。

季節やイベントごとの限定御朱印の情報はTwitterの公式アカウントをチェック。

亀嶽林 萬松寺

参拝時間:9時~20時
参拝料:無料
・地下鉄鶴舞線・名城線「上前津駅8番出口」より徒歩約3分
・市バス「上前津停」より徒歩約2分
駐車場:あり(有料)

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