楽しいお墓その2 高野山奥の院-戦国武将たちの墓-

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高野山奥の院伊達政宗の墓

ロケット型やヤクルト型の変わった形の墓石がある裏参道から一転し、年季の入った苔むしたお墓が立ち並ぶ表参道

表参道には歴史的有名人や戦国武将のお墓や供養塔が立ち並んでいます。

墓石にカメラを向けることへの抵抗がなくなってきた頃なので、ここから一気に写真の量が増えます。

人生でこんなに墓の写真撮った日はない

戦国無双・お墓版

高野山奥の院には、名だたる武将たちのお墓が集結しています。

お墓と言っても実際に墓石の真下に本人がいるようなお墓ではなく、分骨された遺骨や爪、髪の毛などを埋葬した供養塔である場合が多いそうです。

弘法大師の元で眠れば極楽へ行けるという信仰と、高野山の『死後は敵味方もなく誰もが平等』という怨親平等の精神により、戦国大名のおよそ6割以上が高野山にお墓を構えているそうです。

戦国武将ファンなら心霊現象もファンミーティングに早変わり。
でも肖像画の顔しか知らないから、本人が出てきても気付ける自信はない。

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写真で見る戦国武将たちのお墓

参道の入り口には観光案内所があり、武将たちのお墓の位置が記載された地図が無料配布されています。

お墓の近くには案内板も建っていますが、他の場所に目を奪われている間に通り過ぎてしまうこともあるかもしれません。

特に好きな武将がいる場合は、あらかじめどんなお墓なのか写真を見てから行くと見つけやすいと思います。

結城秀康 ( 松平秀康 )

裏参道から入る場合、一番初めに目にする武将のお墓です。

瓦・壁、内部の柱や扉まで石造りで、木材はほとんど使われていないそうです。
2004年に世界遺産に登録されています。

豊臣秀吉

参道から延びる階段を上がった先に母と弟夫婦と共に祀られています。
広い敷地に対して供養塔自体はかなり控えめなサイズ。

織田信長

参道から少し横道に入りますが、戦国武将のお墓の中では弘法大師御廟に一番近い場所にあります。

隣には本能寺の変のあと、羽柴秀吉に討たれた明智光秀を見て見ぬ振りしたと噂される筒井順慶の供養塔が並び、明智光秀の悪口ゾーンになっています。

明智光秀

明智光秀の供養塔は信長の念のせいで何度直しても割れてしまうという噂があります。
実際に球体の部分にヒビが入っていました。

もし信長が全くの無関係だったら言いがかりもいいところ。
討たれるわヒビも自分のせいにされるわで踏んだり蹴ったり。

石田三成

石田三成本人が生前に用意したとされています。
用意してそう。絶対してる。

伊達政宗

参道沿いにある上に他と比べてもかなり大きいので見つけやすいと思います。
塔の周囲に並んでいるのは伊達政宗の後を追った20人の家臣たちの供養塔だそうです。

武田信玄・武田勝頼

武田信玄のお墓も参道沿いにあります。
向かって左が信玄、右が勝頼の供養塔だそうです。

上杉謙信・上杉景勝

参道から外れて少しわかりにくい場所にあるので、すぐに見つけられず一度通り過ぎました。

武田信玄の供養塔と向かい合うように建っていると聞いていたので真向いにあると思い込んでいたんですが、参道を挟んで向かい側の坂道を上がった場所にあります。

徳川吉宗

地図には八代将軍吉宗公之墓と書かれていたし葵の紋も置いてあるけど、墓標に書かれているのは大川家。

もしかしたら私は吉宗じゃなくて大川さんに手を合わせていたのかもしれない。

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