島根県出身だと言うと『じゃあ初詣は出雲大社なんだね!』と安易に言われますが、私の出身地は隠岐。離島。
隠岐から島根県本土へ行くには4時間弱の船旅もしくは飛行機が必須。
同じ島根県にも関わらず、他府県の人と同様に『今年は出雲大社へ初詣に行こう!』って予定と気合いを入れる必要があります。
しかし、出雲大社へ行けない代わりに日本人の約99%が一生行けない(行かない)であろう神社へ気軽に初詣に行けるんです。
秘境の神社で初詣!隠岐・西ノ島『焼火神社』
焼火神社は、隠岐・西ノ島町の焼火山という標高451.7mの山の中腹にあります。
山道の入り口前は駐車場と休憩スペースになっています。
休憩スペースと言っても自動販売機やトイレといった『休憩所にあったら嬉しいもの』は何一つ設置されておらず、マムシ対策の竹の棒しかないです。
マムシが出るのは春~秋の時期ですが、冬眠し損ねたやつがいないとも言い切れません。
竹の棒を手に入れ、攻撃力が2増えたところで山道へと足を踏み入れます。
ちなみに、あとから聞くと竹の棒は攻撃用ではなく、うっかりマムシに遭遇しないように前方の草むらや落ち葉を払う用でした。
焼火山には西ノ島にしか自生していないタクヒデンダというシダ植物や絶滅危惧種のカラスバトなど、天然記念物に指定されている動植物が数多く生息し、焼火神社神域植物群として保護されています。
ほとんど手つかずのまま残されている大自然の空気を何度も大きく吸い込みます。
何度も。何度も。
だってもう息切れがすごい。
クソしんどい
顔面や指先は痛いくらい冷たいのに体は汗ばみ、寒いのか暑いのかわからない。
かなり登ってきたようなきもするけど、そんなに登っていないような気もする。
前日までの雨で地面はぬかるみ、濡れた落ち葉は容赦なく足元をすくってきます。
急に日差しに照らされて思わず顔を上げると、トンネルのように周りを覆っていた木々が開け、神々しさすら感じる太陽の光が降りそそいでいました。
写真ではうまく伝わらないのが残念ですが仕方ないですよね。
お前ら登ってねぇもんな。
絶景に癒されて少しだけ元気を取り戻したところで、再び登り始めます。
はい、しんどい
正月にどうしてこんなことしてるんだろう?
しかし、傾斜がキツいのはここまで。
大きな鳥居が見えたら、あとは平坦な道のりです。
焼火神社の狛犬 すぐ横は崖
平坦な道のりとは言ったけど、安全だとは言ってない。
しばらく進むと道の脇に急勾配すぎて垂直に見える階段があります。
もうこの際だし、せっかくだから上がっとこうぜ。
社務所の石垣の横を通り抜けると目の前に水平線が広がります。
ここまで来れば本殿まであと少し。
これ初詣なんだけど、みんな覚えてる?
手水舎は昨日今日に始まったレベルじゃないくらいカラッカラに乾いていました。
仕方がないので、こんな山道をここまで登り詰めたのが禊というテイで先に進みます。
崖の上の本殿
隠岐へ島流しになった後鳥羽上皇を乗せた船が遭難しかけた際、海中から3つの神火が飛び出して焼火山の岩壁の窪みに入りました。
その灯りを目指して進んだおかげで島に辿りつくことができたと、神火が灯った窪みに後鳥羽上皇が祠を建てたのが焼火神社の始まりだそうです。
現存する本殿は享保17年(1732)の建立で隠岐最古の神社です。
大阪で加工した木材を運んできて現地で組み立てるという方法で建てられたのだとか。
本殿の彫刻が施されているのは西側だけで、岩壁に面した北側と東側にはほとんど装飾されていません。
その理由は、どうせ参拝客からは見えないから。
これマジなんやで
航海の神様 焼火権現
焼火神社のご神体・焼火権現は平安時代から航海安全の神様として信仰されていてました。
歌川広重、葛飾北斎が日本各地の名所を描いた諸国名所絵にも、船上から焼火山を拝み航海安全を祈る姿が描かれています。
焼火神社は西ノ島で一番高い山に位置する為、暗い夜の海でも焼火神社の灯りに向かって船を進めれば無事に戻れるという、灯台の役割りも担っていたようです。
かつて大晦日に焼火神社の社務所に籠って神火を拝んでいた風習にちなみ、今でも隠岐島前には旧正月に焼火神社へお参りするはつまいりという行事が伝承されています。
西ノ島の別府港では、ゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげる先生が描いた焼火権現のブロンズ像が航海を見守っています。
西ノ島に水木先生あらわる。
水木先生のことも妖怪の類だと思ってる節がある
焼火神社(焼火権現)の御朱印
焼火神社の社務所には宮司さんは常駐していません。
御朱印は別府港の観光案内所で頂けます。
焼火神社
参拝料:無料
参拝時間:なし
駐車場:あり
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